こどもの日といえば鯉のぼり。最近は面倒だから揚げないというご家庭が増えていますが、田舎へ行けば、晴れ渡った青空を背景に悠々と泳ぐ大きな鯉のぼりを見ることができます。
それを眺めながらつい口ずさむのが、2つの鯉のぼりのうた。この歌をネタに、こどもの日について考えてみましょう。
「鯉幟」に込められた親の願い
文語調のいかめしい歌詞の「鯉幟」。男子たるものこうあるべきという内容が、ジェンダーフリーの風潮に反するためか、最近ではあまり歌われなくなったようです。
「鯉幟」は大正2年(1913年)に尋常小学娼歌 第五学年用として刊行されたそうです。100年以上も歌い継がれているなんて、驚きですね。
1番から2番の歌詞は、屋根瓦と雲を波に見立て、その中を泳ぐ鯉幟の雄大な様が、絵のように浮かんでくる秀逸なものです。
現代の風潮に合わない部分があるのが3番で、男子たるもの立身出世を志せと、鯉幟がハッパをかけてくるという内容です。
当時の出生率は現在の4倍にもかかわらず、平均寿命は45歳程度、つまり、小さいうちに亡くなってしまう子供が多かったのです。
また、第一次世界大戦が勃発するなど、社会情勢も不安定でした。当時の女性はまだか弱かったので、勢い男子に寄せる期待は大きくなっていたのでしょう。
大きく強く育ってほしい、社会の役に立つ人材となってほしいという親の願いが、ひしひしと伝わってきます。
「こいのぼり」でわかるこいのぼりの変遷
一方、今もよく歌われている「こいのぼり」、3拍子のリズムとのどかな歌詞でおなじみですね。
昭和6年(1931年)エホンショウカ ハルノマキで刊行された当初はおとうさんではなくおとうさまと表記されました。当時の父親に威厳があったことを物語っています。
歌詞のなかで真鯉がおとうさん、緋鯉がこどもたちとうたわれていますが、おかあさんがいないではないかと目くじらを立てる方もおられます。
現代主流のこいのぼりは、吹き流しの下に、大きな黒・中くらいの赤・小さい青の3尾が並んでいるものですが、元々は黒の真鯉1尾で、当然これは子供を意味するものでした。
その後、黒と赤の2尾セットとなり、「こいのぼり」では、緋鯉がこども、真鯉がおとうさんと歌われています。
現代のようにカラフルなこいのぼりが出回り始めたのは、昭和39年(1964年)の東京オリンピック以降のことで、緋鯉はおかあさんということになりました。
こどもの日は子供の日ではない
こどもの日は、昭和23年(1948年)に制定された国民の祝日の一つです。祝日法2条では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日とされています。
5月5日は端午の節句でもありますが、これは中国の陰陽思想が元になったもので、奇数が重なる日である5月5日は厄払いを行う日だったのです。
その厄払いに用いられた菖蒲が日本では尚武となり、男の子の健やかな成長を願う行事に転じていったわけです。
こどもの日が子供の日ではないのは不思議ですね。「供」という字の意味合いが、供え物や付き従う者ということから、こどもと平がな表記になったようです。
かつては、衛生状態や栄養状態がよくなく、せっかく生まれた子供が早くに亡くなってしまうことが多くありました。子供に先立たれる悲しみはいかばかりだったか…。
いつ召されるかわからないという覚悟とあきらめから、子供は神様へのお供えモノのようだということで、子供と表記されるようになったとの説もあります。
こどもの日 親は初心に帰ろう
現代、子供は作るもので授かるものという認識は薄くなっています。また、子供を大切に思うあまり、一体化してしまう親も増えているようです。
親の皆さま、初めて我が子と対面した日の、無事に生まれてきてくれたことへの感謝と、健やかに育ってくれたら何もいらないという願いを忘れかけていませんか?
いろいろと欲が出てくるのは自然なことですが、こどもの日には柏餅でも食べながら、初心に帰ってみるのも悪くないと思います。プレゼントを贈ったり、イベントへ出掛けたりするより、子供のためにいいかもしれません。
今日のボタモチ
今日のボタモチは【感謝】です。
感謝を示すためには何らかのモノや行為が必要と考えがちですが、相手のことを考えるという観点を忘れていないか?ここは見落としがちなので、注意が必要です。
※今日はボタモチ1個追加!
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