お盆やお彼岸にお墓参りをしたときに、お墓の話題が出ることがあります。
お墓の取得や維持には、かなりのお金や手間が必要となるため、最近ではお墓のいらない散骨や樹木葬、さらには0葬などに関心が高まっているようです。
お墓は何のために、誰のためにあるのか?本当にお墓はいらないのか?その辺りを考えてみたいと思います。
お墓は何のためにあるの?
命が尽きれば全て終わり?
日本人はあまり宗教というものを深く考えないようです。しかし、お墓について考えるなら、宗教観を抜きにしては語れません。
この世の命が終われば全てが終わってしまうと考えるのなら、お墓に意味など無くなり、お盆やお彼岸も単なる連休となります。0葬はこのような考えから始まったのでしょう。
お墓は何かを引き継ぐもの?
一方、お墓に故人が眠っていると考えるのなら、この世での命が終わった後に残る何かがあると思っているわけで、お墓は確かな意味を持つものとなります。
アメリカなどのお墓は日本のように○○家の墓というものではなく、個人ごとのもので、よく『△△、ここに眠る』などと書かれています。
キリスト教徒の方たちは、来世をいう概念がないそうなので、故人はお墓の下でいつまでも眠っていると考えているのかもしれません。
お墓は誰のためにあるの?
お墓は遺族のためにある?
お墓が必要とされる理由のひとつに、遺された方々が、故人との縁(よすが)とするためのものである、という考え方があります。
しかし、これなら何もお墓である必要は無く、仏壇や遺影、あるいは形見の品で充分でしょう。ただ、この場合だと、遺骨をどこに納めるかという問題が解決できません。
お墓は故人のためにある?
お墓は故人にとって必要という考もありますが、仏教的に見れば、亡くなった方はこの世ではなくあの世にいて、いつまでもお墓にとどまっているのなら、成仏できずに地縛霊となっているということになります。
もしかすると、お墓は故人やご先祖様がお盆に帰ってくるための、ランドマークとして機能しているのかもしれません。
お墓は本当にいらないの?
お墓不要論者が増えている理由
あなたは将来、すでにあるお墓に入る予定でしょうか?それとも新しくお墓を作る予定でしょうか?また、ご両親のお墓はどのようにする予定なのでしょうか?
いずれにしても、あなたの亡き後にお墓を守ってくれる人がいるかどうかが、重要なポイントとなります。お子さんがいても、遠く離れて暮らしていれば、お墓を守ってゆくことは難しくなります。
運よくお子さんがお墓を守ってくれたとしても、お孫さんの代にそれを期待することはできない場合がほとんどでしょう。
親子代々同じ地域に暮らし続けるということが稀になった現代において、お墓は引き継ぎたくない遺産とさえ言われています。
お墓を子供に遺したくないなら
筆者に引き継ぐお墓はありません。実家の両親は、自分たちの永代供養の手続きをすませてくれています。また、夫は長男ではないため、夫の実家から引き継ぐお墓もありません。
墓を引き継ぐ立場にある友人は、自分たちを含めて代々の故人を全て永代供養して、墓じまいするつもりだそうです。
筆者が入る自前のお墓は、10年ほど前に、自身が過労で倒れたときに用意したものです。室内にある集合住宅みたいなタイプで、いずれ永代供養の手続きをする心積りでいます。
散骨や樹木葬はどうなの?
永代供養以外でお墓を持ちたくない方の場合、散骨や樹木葬、手元供養を行っているようですね。
しかし、手元供養では遺骨の一部のみ手元に置き、残りは別途供養するという方が多いうえ、次の代に供養を委ねる必要が残ります。
また、散骨や樹木葬を個人が勝手に行うとトラブルの元となり、刑事事件にもなりかねないため、注意が必要です。
真剣に考えたいお墓の問題
生まれるときと違い、この世を去るときには、過去・現在・未来にまたがる多くの人達が関わってきます。
万世一代限りとなった現代にこそ、お墓についてもっと真剣に考えることが必要なのかもしれません。
今日のボタモチ
今日のボタモチは【継承】です。
継承すべきものが何もないというのは自由ではあるけれど、自由の果てが無縁社会というのは避けたいものです。
※今日はボタモチ1個追加!
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