敬老の日には何をするの?何歳から?何もしないのはアリ?

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鶴亀

以前、筆者の所属する事業所で敬老会の開催を告知した際、「自分は対象者じゃないから興味ない」と言う声が大変多くありました(会員の多くは70歳以上なのに…)。

当日は閑古鳥かもと思っていたら、なんと定員超過の大盛況!どういうこと?今回は、なかなか気を使う敬老の日のトリセツです。

敬老の日は何をする日?

敬老の日はそもそもどういう趣旨で設けられたものなのでしょうか?

文字通りに解釈すれば、老人を敬うための日ということになります。国民の祝日に関する法律では、「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」とされています。

元々は9月15日でしたが、2003年から9月の第3月曜日となりました。そして、9月15日は国民の祝日ではない『老人の日』となり、21日までの1週間は老人週間となったのです。

敬老の日は何歳から?

65歳から?それとも70歳から?

老人の日と老人週間を定めた『老人福祉法』では、老人福祉の対象年齢を65歳以上としています。

国際保健機構(WHO)では、高齢者を65歳以上(65~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者)としています。

日本の年金受給開始年齢も65歳だし、妥当な線だと言えるでしょう。

長寿国の日本では、70歳か75歳以上を『敬老の日』の対象としている市区町村が多いようです。

当人に高齢者の自覚なし?

ところで、老人とされる当人の方々は、どのように考えているのでしょうか?

60歳代の場合、約2割しかご自身を高齢者だとは考えていません。70歳代前半になると約半数、後半になると約8割の方が、ご自身を高齢者であると認めているようです。

高齢者は日和見

実のところ、高齢者の気分は日和見で、時と場合によって、若くなったり老人になったりします。

ここを外すと「年寄り扱いしおって、けしからん!」あるいは「年寄りを無下にしおって、けしからん!」と相成ります。

コツは、相手を立てながらサラリと希望を伺うことでしょうか?また、他の人たちがどうするかを気にして行動を決めがちで、このあたりもうまく活用したいものです。せっかくの好意が仇になっては残念ですからね。

要は受け手次第

めでたく孫が誕生すれば、何歳だろうがおじいちゃん・おばあちゃんになります。

筆者の実母は50歳を待たずしておばあちゃんになりましたが、不器用な孫が保育園で作ってきたメダルのようなモノを、喜んで受け取っていました。要は、受け手の気分次第ということですね。

敬老の日に何もしないのはアリ?

孫がいれば楽勝?

小さいお子さんがおられるご家庭では、おじいちゃん・おばあちゃんのところへ孫を連れてゆき、ちょっとしたプレゼントを渡すというパターンが多いようですね。

何を贈るかは頭を悩ませるところですが、贈る側が選びがちな健康器具などは、意外と不人気のよう。

実は、敬老の日のプレゼントで喜ばれているのは、モノをもらうことより、「一緒に過ごす」「孫の顔を見る」ことだそうです。

多くの場合、孫さえいれば、安い回転寿司でもOK。喜んでもらうためには、時間の都合をつけるなどの手間は掛かるものの、費用はさほど必要ないといえます。

義父母の場合

義父母の場合ならヘタに凝ったことはしないで、他の兄弟に合わせておくのが無難です。

筆者の場合、姑さんからのお達しで、大手スーパーの商品券と決まっていたので楽でした。

微妙な立場の場合

独身の方や子供がいない方、まだご両親がお若い方の場合はどうすればよいでしょうか?

これらの方々は、たいてい父の日や母の日に、何らかのプレゼントをしているでしょうから、当面の間、敬老の日には特に何もしなくても問題ありません。

また、父の日や母の日と違い、敬老の日は特に何もしないという方が多数派です。ご両親自身が「また年寄りではない」と思っているようなら、なおさら不要でしょう。

敬う心は忘れたくない

昔は毎日が『敬老の日』

昔話や訓話、ことわざにおいては、老人は敬われてしかるべき存在として描かれています。風雪をくぐり抜けた体験と智慧には、若年者を導き励ますものが満ちあふれていました。

また、老中・大老という役職名や、老成・老練などという言葉は、『老』に対する肯定や尊敬の念が感じられるものです。

昔は、ことさら『敬老の日』など設けなくても、普通に老人は敬われていたのです。

敬う心は自らも助ける

それなのに近年、老人に対する尊敬が薄れてきたのは、なぜでしょうか?

確かに眉をひそめるような振舞いをする高齢者はよく見かけますし、古いモノが陳腐化するスピードは、年々早まっています。

しかし、間違いなく言えることは、全ての人が年老いていくということです。老いは他人事ではなく『明日は我が身』なのです。

また、他者を敬うという心は、自分自身が恩知らず・恥知らずになることを防いでくれるものです。

『敬老の日』は、敬うという心を忘れないための、大切な日でもあるのかもしれません。

今日のボタモチ

今日のボタモチは【老成】です。

古いモノが陳腐化するだけのモノであれば、歴史は無価値ということになり、人生に意味を見出だせなりそうです。

しかし、そうではないことを皆が知っています。時々忘れそうにはなりますが…。

※今日はボタモチ1個追加!

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