人間50年、あっという間の夢幻のようでありながら、カラダのあちこちで現実を感じるこの頃です。中でも老眼は、リアルに老いを感じさせるもので、読書好きで視力自慢の筆者は、かなり凹みました。
今回は、そんな筆者が老眼を受け入れ、共存するに至った軌跡です。
ショック!老眼で読書がつらい
まさか老眼?
- 最近読むのが遅くなった
- 本を読んでいて疲れるだなんて
- 読みたい本がたまってきた
まさか、そんなことが我が身に起ころうとは、夢々思いもしませんでした。50を目前にした頃のこと、文庫本の字を、時々読みづらく感じるようになってきたのです。
過去の栄光
筆者は視力検査表の全てを判読できることが自慢でした。また、1日中本を読んだり、細かい作業を続けたりしても、疲れるようなこともありませんでした。
視野も広いのか「なぜその位置からここが見えるの?」と驚かれたり、電車で通過する駅名を読み取れたりする、ハイスペックな筆者の視力。
「わたしに見えないものは未来だけ」という、よくわからない自慢をしていたものです。それが、なぜ?
なんのことはない、単なる老眼で珍しくも何ともないものなのですが、かなり落ち込みました。
老眼鏡を掛けたら度数が進む?
とりあえず老眼鏡は買ったけど
とりあえ度数0.75の、できるだけ軽い老眼鏡を入手したものの、「老眼鏡を掛けたら度数が進む」と聞いていたので、なるべく使わないで様子を見ることにしました。
確実に進行する老眼
初期の頃は、日和見的というか「老眼が治ったのではないか?」と思える程よく見える時もあれば、なんだか今日はぼやけて見えるという時もありました。体調や部屋の明るさなどに左右されていたのでしょう。
そのうち、午後3時を過ぎるとテキメンに見えづらくなり、数字やメールアドレスを見誤りそうになるなど、仕事に支障が現れはじめました。
老眼で疲れ目や肩こりも併発
不調は見えづらさだけではすまない
そうしているうちに、眉間のシワが深くなってきました。目の疲れ具合もひどくなり、頭が重くて辛い時も。ドライアイが重症化したように感じられたのもその頃です。
その上、肩こりまでするようになり、不調は目だけにとどまらず、どんどん拡大してゆくではありませんか。
ついに白旗
筆者は元々肩こりのしないタチだったため、これはマズイ…ということでついに降参、無理しないで老眼鏡を掛けることにしました。
メガネというもの自体に慣れていなかったため、鼻当てのあたるところが気持ち悪くて困りましたが、だんだんと我慢できるようになってきました。
無理しないで老眼鏡を使おう
見えにくいときには、無理しないで老眼鏡を使うようになってから、疲れ目や肩こりは解消しました。また、老眼になる前のように仕事がスムーズに進み、頭やカラダの疲労感もなくなりました。
ドライアイは市販の目薬ではなく、眼科で処方されたものを使い始めてから劇的に改善、目のかすみも気にならなくなり快調です。
目が疲れてしまう前に一息いれるなど、老眼によるマイナスを埋め合わせると同時に、目を労る習慣も身につきました。
老眼鏡でQOLの向上を
その後2年が過ぎましたが、度数は進んでいないようです。相変わらず普段は0.75の出来合いの老眼鏡、細かい作業のときだけ誂えた老眼鏡を使用しています。
老眼は老化現象のひとつで、避けられないものです。しかし、進行を遅らせたり、なるべく生活に支障が出ないようにコントロールしたりすることは可能です。
老眼鏡は便利な道具の一つと考えて、賢く利用するのが正解だと考えます。
今日のボタモチ
今日のボタモチは【受容】です。
老眼は自然なことです。今までの激務に耐えてくれた自分の目に感謝し、今後はもう少し労るから、これからもよろしくというふうに思えたらいいですね。
※今日はボタモチ1個追加!
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