夏になると怪談を聞きたくなりますね。日本三大怪談として挙げられる「四谷怪談」「牡丹灯篭」そして「皿屋敷」が有名どころでしょうか。無念の死を遂げたお菊さんが井戸から出てきて皿を数えるというものです。皿屋敷は姫路版「播州皿屋敷」と東京版「番町皿屋敷」の知名度が高いようですが、日本各地に同じような伝承があります。
今回は皿屋敷の本家の検証と、お菊さんが被った悲劇の元は現代にも通じるパワハラ・セクハラ?というお話です。
皿屋敷・お菊さんの本家はどこ?
皿屋敷の舞台として、姫路と東京がよく知られていますが、その他の地域にも似たようなお話しが伝わっています。本家の検証に入る前に、代表的な皿屋敷のストーリーをみてみましょう。
皿屋敷のストーリー
「お菊さんが家宝の皿を割ってしまったためお手打ちになり井戸に投げ込まれた。その後、夜な夜な井戸から現れては皿の数を数える。」というのが、皿屋敷のメインストーリーです。
割ったのではなく紛失したバージョンや、お手打ちではなく拷問や折檻を受けたバージョンなどがありますが、以下のポイントは必ず押さえられています。
- ヒロインの名前はお菊さん
- 皿のトラブルで命を落とした挙句井戸に投げ込まれるか、もしくは井戸に身を投げるかして絶命
- 井戸から姿を現して皿を数えるか、井戸の底から数える声がしてくる
つまり、「お菊」「皿」「井戸」「皿を数える声」の4つは必須アイテムとなっているのです。
皿屋敷・姫路バージョン
「播州皿屋敷」の名称で知られる皿屋敷の姫路版は、江戸時代から歌舞伎や浄瑠璃で上演されたものです。
主家乗っ取りをたくらむ青山鉄山の謀略に気付いた忠臣・衣笠元信が、妾のお菊さんを鉄山の家に女中として送り込みます。その結果、鉄山の謀略は頓挫するのですが、鉄山の家来・町坪弾四郎にお菊さんがスパイだと気付かれてしまうのです。
お菊さんに気があった弾四郎は、お菊さんに妾になるよう脅します。ところがお菊さんがこれを突っぱねたため、逆上した弾四郎はお菊さんが片付けた家宝の皿10枚のうち1枚を隠してしまうのです。そして皿を紛失した咎でお菊さんは責め殺され、遺体は古井戸に投げ込まれてしまいました。
それ以来、井戸から夜な夜なお菊さんが皿を数える声が聞こるようになったのです。その後鉄山は自刃、お菊さんは十二所神社に末社として祀られて現在に至っています。
お菊虫と呼ばれているのはジャコウアゲハ(姫路市の市蝶)の蛹で、お菊さんが後ろ手に縛られている様子に似た形をしているものです。かつて十二所神社でお土産として売られていました。また、姫路城の一角にお菊井戸が現存しています。
皿屋敷・東京バージョン
皿屋敷の東京バージョンは、講釈師・馬場文耕の「皿屋敷辯疑録」を元にした怪談芝居の「番町皿屋敷」で、舞台は江戸の牛込御門内にある番町です。
天樹院(千姫)の屋敷跡に住居を構えた火付盗賊改・青山播磨守主膳の屋敷に奉公していたお菊さんが、主膳が大事にしていた皿10枚のうち1枚を割ってしまいます。その咎でお菊さんは右中指を切り落とされた挙句監禁されたのですが、逃げ出して井戸に身を投げたのです。
その後、夜な夜な井戸の底から「一つ…二つ…」と皿を数える女の声が聞こえるようになりました。さらに主膳の奥方が産んだ子供には右中指がなく、この事件が公となって主膳は所領を没収されたのです。
それでもお菊さんの恨みは晴れず皿数えの声が続いていましたが、小石川伝通院の了誉上人がお菊さんの「八つ……九つ……」と数えたあと「十」と付け加えると、お菊さんの亡霊は「あらうれしや」と言って無事成仏しました。
杉並区の栖岸院(せいがんいん)にはお菊さん墓が残っていて、千代田区にはお菊さんが帯をひきずりながら通ったと伝わる帯坂もあります。
元祖はどっち?
皿屋敷の姫路バージョンは「播州皿屋鋪細記(弘化2年・1845年)」で永正元年から永正5年(1504~1508年)にあった出来事として記されています。一方東京バージョンは講釈師・馬場文耕の著作「皿屋敷辯疑録(宝暦8年・1758年)」に著されたものです。さらに姫路・東京とも「物証」があります。
とはいえ、姫路・東京以外の各地にも皿屋敷の伝承やお菊井戸およびお菊さんの墓などが存在しているのです。昔はお菊さんと同じような憂き目にあった女性が、全国にたくさんいたのでしょうか。
おそらくは浄瑠璃や歌舞伎などとしてたびたび上演された皿屋敷の話が広く知られるようになり、各地に飛び火してお菊さんが乱立したのではないかと思われますが、実のところ専門家の間でも議論がまとまっておらず、今もって皿屋敷の本家は確定されていないのです。
皿屋敷のお菊さん 悲劇の原因はパワハラとセクハラ
今に伝わるお菊さんはお屋敷に勤務するワーキングウーマンでした。そんなお菊さんは、職場で起きた皿にまつわる騒動に巻き込まれて命を落とすことになるのですが、皿屋敷の伝承から分かるとおり
- 仕事上のミスを過剰にとがめる
- トラブルの責任を押し付ける
- 不正の発覚を恐れて圧力を掛ける
- 関係を強要する
などの事例は、パワハラ・セクハラ以外の何モノでもありません。現在なら労災認定間違いなしですが、お菊さんの時代には死後に化けて出るしかなかったのでしょう。
しかしパワハラ・セクハラに泣いている女性は今も存在しています。お菊さんの事件は決して遠い昔の話ではなく、実に今日的なものといえるのではないでしょうか。
皿屋敷の小道具 皿と井戸の謎
皿と井戸は外せない
全国各地に伝わるお菊さんのお話ですが、そのほとんどに小道具として皿と井戸が登場します。
皿は主家の家宝で10枚セットとなっており、そのうちの1枚でも欠ける(割れる・紛失する)と用をなさなくなるというものです。そんな物騒なものなら蔵の奥にでも厳重にしまいこんでおけばいいのに…。
また皿と並んで井戸も必須アイテムとなっています。水道が普及していない当時、井戸は大切なインフラであるはずなのになぜ幽霊と結びついたのか?謎は深まるばかりです。
現在とは意味合いが異なる皿と井戸
江戸時代後期の風俗習慣や歌舞音曲などが書かれた「喜遊笑覧」という書物には、皿屋敷についての記述があります。
さら屋敷=更地(屋敷は建物ではなく家屋の敷地という意味合い)だったそうで、ここから皿を割ったり紛失したりするストーリーが生まれたのだとか。つまりはじめに皿ありきではなく、ある家が没落して住む人がいなくなり、家は荒れ果て更地=さら屋敷になってしまったという逆連想なのです。
また深く掘られ底が見えない井戸は、かつてこの世とあの世の接点と見なされていたと伝えられています。
京都の六道珍皇寺には冥界につながっているといわれる井戸がありますが、かつて今昔物語に小野篁(おののたかむら)が夜な夜なこの井戸を通って閻魔大王に仕えていたと記されているのです。
なお、お菊さんが投げ込まれたのは普段使いの井戸ではなく、あまり人が近寄らない古井戸か枯れ井戸だったのではと推察されます。今でもお化け屋敷に井戸は付き物だし貞子さんも井戸から出てくるのだから、やはり井戸と幽霊は切っても切れない深い関係があるのでしょう。
皿屋敷のお菊さんはとてもポピュラー
お菊さんは全国区
姫路出身の筆者は、中学生の頃までお菊さんは姫路の専売特許だと思っていました。その後東京にもお菊さんがいたということを知ったのですが、実は全国に50ヶ所ほどもお菊さんや皿屋敷にまつわる伝説が残っているのだそうです。
同じような話がこれだけ広がっているのは、江戸時代のエンタメである歌舞伎・浄瑠璃でしきりに上演されたり、浮世絵のモチーフになったりしたことによるものでしょうか。葛飾北斎も「百物語 さらやしき」や「北斎漫画・菊女が霊」を描いています。
全国のお菊さんたちが、みんな成仏していることを祈るばかりです。
今日のボタモチ
今日のボタモチは【拡散】です。
実はお菊さん、落語にも登場しています。こちらではお菊さんに人気が出すぎて、井戸の周辺に出店まで登場するという楽しいお噺です。売れっ子になって広く拡散すると、想定外の変形が施されるようになるのでしょう。
※今日はボタモチ、1個追加!
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