映画『家へ帰ろう』のあらすじと感想!観客賞8冠は伊達じゃない

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遅ればせながら、映画『家(うち)へ帰ろう』を観てきました。100分足らずのシンプルなロードムービーと思いきや、観客賞8冠受賞に納得できる作品でした。

上映館が少ないうえ上映期間も短く、もう映画館では観られないかもしれませんが、DVDになったらぜひ観ていただきたい『家へ帰ろう』。今回は作品のあらすじをサラッと述べつつ、実際に鑑賞した感想を紹介したいと思います。

『家へ帰ろう』のあらすじをサラッと

アルゼンチンに住む88歳のユダヤ人・アブラハムは、老人施設に入居する前夜、突如ポーランドに旅立ちます。旅の目的は、彼が70年前にホロコーストから戻ってきたとき命を助けてくれた親友と交わした、ある約束を果たすこと。

道中で巡り会う人々の親切に助けられながら、アブラハムはなんとかポーランドへたどり着きます。はたして70年ものあいだ音信普通となっている親友とアブラハムは、めでたく再会できるのでしょうか・・・という筋書きですが、いろいろと考えさせられるストーリーでした。

断片的に語られるナチス政権下におけるユダヤ人の悲劇についての描写は秀逸で、高齢者の老い支度という現代的なテーマについてもおおいに参考になる、深い作品だと思います。

『家へ帰ろう』を観て浮かんだ3つの疑問

なぜ70年も親友に連絡しなかったのか

作品は100分を切る短さで、各エピソードはくどくなくサラリと描かれています。ストーリーはテンポよく進んでいくのですが、いくつかの疑問が筆者には残りました。

一つ目は、なぜ親友との約束を70年も放置していたのか?ということです。いわゆるロード-ムービーである本作において、旅立ちの動機となる「親友との果たせずにいる約束」は重要なポイントでしょう。

ところが、大切な約束を実行するまでの経緯は端折られ、ほとんど思いつきに近いように描かれています。

娘たちによって老人施設に送られることが決まって家を売却する羽目になり、部屋を片付けていたときにアブラハム自身が最後に仕立てた「青いスーツ」を見て親友との約束を思い出し、突如ポーランド行きを思い立った…ように見えるのです。

70年前、未成年で単身ポーランドからアルゼンチンに渡ったアブラハムです。一日一日を生きていくだけで大変だったことは想像できますが、それでも最後のスーツを仕立てた時点で、親友に連絡することは充分できたのではないかと思うのですが…。

ここで筆者が勝手に深読みしてみるに、連絡しなかったあるいはできなかった理由は、懐かしい親友との思い出は、同時に忘れたくても忘れることのできないホロコーストの記憶と重なるものだったからなのかもしれません。

実際、今回の旅行でも「ドイツの地には1cmたりとも入りたくない」「ドイツという言葉さえ口にしたくない」と駄々をこね、その後意を決し列車に乗り込んだアブラハムはフラッシュバックに襲われ、死にかけてしまうほどの事態に陥ってしまったのですから。

娘の腕のタトゥーは何を物語っていたのか

マドリードに着いたアブラハムは、宿泊していた部屋に泥棒がはいったため文無しになってしまいます。

進退窮まったアブラハムはマドリード在住のかつて勘当した娘に会いにいきますが、その娘の腕にアブラハムがホロコーストで入れられたものと同じようなタトゥーがあったのです。娘が自分で入れたものだと思われますが、どういう意図があっての行為だったのでしょうか。

アブラハムが娘を勘当した理由は、娘が正直者だったためという『リア王』ばりのバカな話で、娘としてはもう会うことはないかも知れない父親との「よすが」として、自分の腕に父親と同じ印を刻んだのかもしれません。

また、戦争体験者は自身の体験をあまり子供や孫たちにしないようで、アブラハムもおそらく娘たちにホロコーストの話をしていないと思われます。娘は父に少しでも寄り添いたいと願って、自らタトゥーを入れたのかもしれません。

「家」はどこにあるのだろう

終の住処であるはずの我が家で人生を閉じられる方は多くなく、病院か施設で最期を迎えるケースがほとんどというのが現状です。

アブラハムの場合も施設への入居に伴い、自宅は売却されることになりました。かなり頑固親父に描かれているアブラハムですが、娘たちの圧力に屈したのでしょうか。また、作中アブラハムの「妻」の気配が感じられなかった点も不思議です。

『家へ帰ろう』と同じく高齢の男性(78歳)を主人公にした作品に、『カールじいさんの空飛ぶ家』があります。

カールじいさんが亡き妻との思い出の詰まった家を守り、果たせなかった妻との約束を実行するために旅立つというストーリーで、この作品では亡き妻が重要なポジションを占めているのです。

家というものは、家族とともに過ごした記憶が詰まった場所と理解してよさそうですが、アブラハムにとっての家は、その国名を口にすることさえためらわれ、70年もの間一度も訪れることがなかった、ポーランドの「あの家」だったようです。

家そのものはとうの昔に自分の家ではなくなっていて、親友がまだ住んでいるという確証もない、それでも親友と最後に過ごした短い時間がアブラハムの心の拠り所であり、家だったのでしょう。そして、それは親友にとっても同じだったようです。

もう一度観ると疑問は解けるだろうか

最後にスッキリして終わらないのが大人の映画?

『家へ帰ろう』は、ハリウッド映画のように明快で親切な映画ではないようです。ヨーロッパが主な舞台の本作は、アメリカのようにストレートではなくもうちょっと複雑になっているみたいで、もう一度観ないと疑問は解消できないのかもしれません。

残念ながら近畿での上映は筆者が観に行った日がラストで、DVDになるのを待つしかありませんが…。

今日のボタモチ

今日のボタモチは【親切】です。

『家へ帰ろう』を観た後に強く思ったことは、「誰かにちょっとした親切をしたい」ということでした。「小さな親切大きなお世話」という言葉もありますが、「情けは人の為ならず」という言葉もありますし…。

※今日はボタモチ、2個追加!

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